蛍ブログ

女子大学生が本や日々の出来事をた綴る

北海道 地震に見舞われて

地震からもうすぐ一か月

北海道で発生した地震からもうすぐ一か月。私は札幌でも被害の少ない地域に住んでいたため、テレビの情報で想像するような深刻さはありませんでした。元気です。

今回の地震で実感したのは情報のあやうさです。

情報と実際のギャップ

地震発生後、そこまで被害がなかった私の住む地域でも停電となり、私と同じような環境だった人々にとっては、情報を得るための頼みの綱である携帯の充電がどこまで持つかの戦いだったと思っています。ちなみに、地震時私の携帯の充電は50%ほどでした。ネットにつながらないパソコンから携帯を充電しましたが、10%から50%に戻ったくらいです。加えて、携帯の回線も不安定で、アルバイト先の情報が何時間も後に届いたり、友人の安否確認の連絡も返信できなかったりと無駄に充電を消費してしまっているのではないかと焦燥にかられました。

そんな夜が明け、役目を果たさなくなった冷蔵庫を前に私は近所のスーパーに行きました。幸い、営業はしていましたが既に長蛇の列ができていました。売っていたのはお茶やパン、カップラーメン、そうめん・そば、カセットボンベです。カセットボンベは私が買えるかなり前になくなり、その次にパンがなくなっていきました。私はかろうじて食パンとお茶、カップラーメンを買いましたが、オール電化の私の家でカセットボンベも買うことができなかったのに、カップラーメンはと買うべきかは最後まで悩みました。水でやってもなんとか食べられるという情報は、そのときの私には入っていませんでした。また列に並んでいたときに、私は知らない人の会話から電気の全面復旧には一週間かかるということを知りました。

しかし、その日の夕方一人留守番をしている中学生のいとこの元へ行くと、電力は復旧していて何事もなく生活していることに驚きました。私の家からいとこの家までたいした距離がないからです。そういう私の家も夜には電気が復旧しました。私が立ち聞きした情報は、北海道全域の復旧の話だったようでした。

携帯を充電しながら友達に安否確認をその夜から次の日の午後まで行い、一部の友達・アルバイト先が電力復旧してないことも確認しました。本当は直接会って無事を確かめたりアルバイト先がいつ営業を再開しても出られるようにしたかったのですが、私は数日後飛行機が飛んだため予定通り岐阜にいくことにしました。行った先々で北海道から来たと言うとすごく驚かれました。最初こそそんな反応に戸惑いましたが、確かにテレビで見るのは被害の多かった地域でしょうから驚かれて当然なのだと思いなおしました。

今回のことでやはり情報と実際には大きなギャップがあるのだと再認識しました。

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趣味と友達

小学生から中学生まで少ないながらも友達はいました。ですが、読書好きという趣味のなかでジャンルまで一致するような友達とはなかなかめぐりあうことはありません。しかし、入学してすぐの高校の図書室で、私は幸運なことに出会うことができました。そして、その子に誘われたのが図書局です。演劇部を引退するまで昼休みは図書局、放課後・土日は演劇部というのが常で、クラスの友達と遊んだのは片手で数えるほどしかありません。演劇部を引退してからは図書局で毎日遊んでましたが。

そんな図書局の仲間と過ごして、感じたのは共感してくれる存在がどれだけ大切かということです。本は感動も勇気もくれ、自分の考えを肯定してくれているように感じることもできるけど、本当に共感して一緒に笑ってくれるわけじゃないと、本の世界にいながら本の世界から脱出できたような感覚でいます。前より、本に依存しなくなりました。

 

現在、大学生になって思うのは、人に恵まれていたなということです。それが、恥ずかしながら人生今まで一番の自慢です。でも、もらってばかりだった人生だったからこそ、逆に今度は私がという思いがあります。それがブログをはじめようと思ったきっかけです。

まだ、予定は未定ですが、本のことや日々の出来事をアップしていきたいと思っています。

 

よかったらこれからもよろしくお願いします。

ブログ始めました、蛍です!2

私と部活

中学入学後、私が入部したのは女子バレーボール部でした。私を知る人はみんな意外だと言っていました。それもそのはず、超がつくほど運動オンチだったからです。実際、三年間辞めずに続けても、バレーボールが上手いとはお世辞にも言えない実力でした。

とにかく、怒られまくりました。

声だし・ボール拾いという基本でさえ、人より覚えが遅くて。さらに、臆病で泣き虫。お荷物部員である自覚はありました。先生も厳しくて部員は半減し、私もその流れに乗るべきだったと後悔した夜は数え切れません。「なんのために部活きてるの?」とそうきかれた時、咄嗟に出てきた言葉は「義務だから」でした。そんな私でしたが、先生は見捨てることなく私に言葉をかけてくれていたこと、今なら少しわかります。言われているうちが花、といいますか。卒業時はこのバレー部よりつらいことなんてきっとない、これからは今までより強い自分でいられると思い込んでいました。そんな中学三年のころは、ドラマで「Nのために」が放送されていて、家入レオの曲や湊かなえの本にハマっていました。今でも一番好きなドラマは「Nのために」です。少ない友達にノートに書いた拙い小説を見せることも、ただの自己満足でしたが楽しかったですね。

 

高校は、演劇部と図書局に入りました。高校の運動部はきっとついていけないと思い、でも、本気になれるものが欲しくて見つけたのが演劇部です。コスプレみたいな恰好をしてみんなに白い目で見られても終始笑顔だった先輩たちが、とっても輝いて見えました。同時に人前に立つのが苦手な私自身への挑戦にもなると思いました。でも、いざ入ってみると、遅刻が普通だったり、欠席多かったりとバレー部の常識と違いすぎて驚きました。演技が上手ければそれでもいいのかと思ったこともありましたが、あるとき我慢できなくなりました。

自主練の時間、台詞まだもらっていない人が頑張っている横で、談笑している人がどうしても許せなくなってしまったのです。当時の私は心に余裕がなく頭も固い、どうしようもない正義きどりでした。

そこからは後になれば話のネタですが、怒涛のような日々でした。学んだことは、自分を含めダメな人はいなくて、それぞれ生きてきたなかでの経験が異なるというだけなのだということ。得意不得意、両方みんなもってること。当たり前のことかもしれないけど、本当の意味で理解できたのは演劇部での仲間のおかげだと思ってます。バレー部なんかの比じゃないくらい悩むことも多かったし、私の高校三年間の選択が間違ってないとは言えないけど、それでもあの演劇部の一員だったこと誇りに思います。

 

長くなりましたが、次で最後です。短いです。よければ、どうぞ。

ブログ始めました、蛍です!

どさんこ女子大学生の蛍です。よろしくお願いします。

TwitterとかのSNSはやってませんが、小説は少しサイトに投稿してました。今はご無沙汰してますが、夏休み中に少しは更新したいなーくらいに考えてます。完全な読む専ではないです。

そんな私がどうして小説を読み始めたかを自己紹介代わりとします。

 

 私と本

記憶の限りでは、小説らしい小説を読んだのは小学生になってからです。

「死者の学園祭」が一番初めの小説だったと思います。小学二年生くらいだった頭もよくない私には、さっぱりな内容だったはずですが、学園祭という響きに憧れて手にとったのを覚えてます。

 

その頃の私は小学生ながらも人間関係の壁にブチ当たっていました。小学一年生のとき同じクラスの男子と仲良くしてたのがきっかけか、その男子の幼馴染であるクラスのボス的女の子から嫌がらせみたいなのを受けました。それから特定の人以外仲良くするのが怖くなってしまったのに、一番仲良しの子が転校してしまったのです。

 

無自覚でしたが、私は本の世界に逃げ込むようになりました。

 

三年生になるとぽっちゃりさんが転校してきました。そのぽっちゃりさんが陰で”蛍二号”と呼ばれていたときは、ショックでした。私が太ってるのは事実だったけれど、その二号呼ばわりなんて。止めることもできず、どうすればいいのか分かりませんでした。

 

ハリー・ポッター」の本に出合えてなかったら、やっていけていた自信がないほど、本にますますのめりこんでました。このころから創作小説も書き始めました。汚い字だったけれど先生が読んで褒めてくれたり、あのときの私には唯一承認欲求が満たされる道具でした。

 

そんな私に更なる追い討ちをかけたのが、嫌いな人ランキング。

ある女の子のランキングで私は三位に入ってました。理由はキモチワルイ。私はそれに覚えがありました。その子と一緒に帰ったとき、私の手にできたアトピーの湿疹を見てどうしたのと言うその子の目がキモチワルイと言ってたのを、子供ながら気が付いていたからです。

 

自信は地に落ちました。得意なこととは何ですか、という質問が嫌いでした。

 

それに対して本の世界は素晴らしいように思えました。

ちょうど私の十代前半くらいに、「ハリー・ポッター」シリーズが映画でも人気で、ライラの冒険ナルニア国物語ダレン・シャン、トワイライト、パーシー・ジャクソンなど、海外児童文学のファンタジーが多く翻訳・映画化されていたように思います。

分厚いのにスルスル読めるものが多くて、私も毎日暇さえあれば読んでいました。

 

そんな私の転機は中学に上がって部活を始めたことです。

興味があれば次へどうぞ